言葉は水物、すぐに死ぬ

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ネットミームにおけるあいまいさについて~オタサーの姫~

note.com

 

きっかけはこのnote。

(※本ブログ記事は、本議論には深く入らず、あくまでも「オタサーの姫」というワードについて考察するため、別に冬優子のこと知らなくて読んでもよかですたい)

冬優子を知らない人は、『BRUTUSという雑誌の企画にて、自分の好きな冬優子というキャラクターが「腹黒、オタサーの姫」として紹介される一文があったが、冬優子はそういうキャラではない』という話である。

 

僕も冬優子をよく存じ上げているので「うんうん」と思っていたが、どうにもネット上の反応は二分されている。

 

・わかる派

・わかるけど、「オタサーの姫」と言われて確かに~とか、わかりやすく表現するならこれだな~と思う派

 

この二分があり、特に後者が気になったのだ。

自分としては「オタサーの姫」というワードに、かなり強い侮辱や揶揄の意味を含んでいると考えていて、あまり後者の思考にはならかった。

だが、そもそも考えていたのが、僕は高校時代(だいたい10年前)にもオタサーの姫を観測しており、そのワードを使用しており、たぶん思春期ぐらいにちょうどオタサーの姫というワードが誕生しかかる時期ぐらいから、オタサーの姫という言葉に触れていたので、そもそも後者の人々とワードの感覚が違うのではないか(悪く言えば自分のほうが古臭いのでは)、という発想があったので、ちょっと立ち止まって考えてみたい。

 

・揶揄するワードは使われれば使われるほど「軽くなる」?

完全に文献やデータはない。肌感でお話させてもらうので、明確に違うという論拠があったら指摘いただきたい。

こういう揶揄するワードは、ワードが誕生した初期こそ、かなり重めの使われ方…というか、狭義の使われ方をする。

言葉が生まれる時というのは、必要に駆られて生まれるわけで、それこそ「オタサーの姫」というワードは、オタサーに一人はいるゴスロリの女の子とそれをちやほやする構図にものすごい違和感を覚えた人々がそれを呼称するために使い始めたのだろう。

 

だからこそ、言葉の流行りの初期段階ではかなり揶揄や否定の意味合いが強いワードである、と僕は思っている。

(僕の認識はこれが強い)

 

しかし、だんだん「オタサーの姫」という言葉が流行り始めるにあたり、「オタサーの姫」と言うワード自体が「これもオタサーの姫なんじゃない?」「あれもオタサーの姫なんじゃない?」とどんどん使われるようになり、定義がどんどん広がっていった。

あるいは、本来の定義ではなかったにせよ、世間がそのように「オタサーの姫」というワードを使いだした。事実、今ざっとamazonで調べただけでも、「オタサーの姫」と言うワードを使用した書籍や、キャラクターの特徴を表す言葉として多用されている。

 

 

さて、このように、おそらく「オタサーの姫」と言うワードは、使用される頻度が繰り返し向上したことで、使われるハードルが昔より下がり、現在において「オタサーの姫」は『属性』の一つのように扱われているような印象がある。

わかりやすくいえば、「ヤンデレ」「ツンデレ」のようなものである。

似たようなワードとして「メンヘラ」も挙げられるか。

あれももとは「メンタルヘルス」から始まっており、精神病を患っている人々の自称から始まっているが、10年前よりもかなりフランクな意味合い(精神病を患っていなくても、全体的に「めんどくさいかまってちゃん」レベルでも使われているような印象はある)になっている気がする。

 

ここで難しいのが、そのワードの取り扱い方である。

 

結局、元の意味合いから大きく外れて広がっていっているが、

こういったネットミームはもともとの発祥自体あいまいである上、現在の文化と溶け合い、常に変化し続けているため、特に厳密に、ワードの定義があるわけではないのである。

 

だからおそらく、前述にあげた「オタサーの姫って別に属性として言っているんだから別にいいんじゃないの?」という感想を持つ人々は、オタサーの姫を知ったタイミングが僕よりかなり後であったからこそ、そういう印象を持っているんだと思われる。つまり、揶揄の意味合いで強く使われていた時代に触れていないのである。
ここで「ワードの取り扱い方が難しい」と言ったのは、何もこれは「あとから来た奴ら、使い方間違ってんぞ」という意味合いではなく、さっきも言ったように厳密に語源があったりするわけではなく、ネット・オタクミームの水面下で細々と引き継がれながら、非常にあいまいなまま育ったワードであり、それを言うなら、そもそも厳密な定義なぞ存在しない、というものであり、人によってだいたいの定義は一緒にせよ、そのワードから感じる「否定の強さ」はかなり差があるのではなかろうか。

逆に言えば、僕が生まれたばかりに使われていたワードについて、僕が無知な世界のワードについて、もしかしたら、僕は気軽に使っているが、他の人は不快に思うワードがあるのかもしれない。

 

しかし言葉は使われない限り意味がないので、「不快だから使うな」という安直な終わり方にするわけにもいかず、しかしかといって、この『否定の強さ』の感じ方のギャップをいかにして埋めようか?という問題の解決方法が、いまのところ全く思い浮かばない。

だから「難しいねえこの問題」というオチが卑怯なのはわかっているが、申し訳ないが解決方法は今のところ思いつかない。

 

オタサーの姫って言葉に結構強い否定の意味、揶揄の意味合いを感じるよ

オタサーの姫って言葉、まあ揶揄の言葉らしいけど、そんなに強い否定には感じたことないよ

・どっちでもないよ。オタサーの姫って言葉は…(以下自由記述)

 

どの意見もうかがいたい。

あくまでも、ここに書いているのは僕の仮説なので。

あなたはオタサーの姫って言葉にどういう印象を覚えますか?

おしえてちょ。