言葉は水物、すぐに死ぬ

月間10万PVありがとう。Twitterの話題を中心に「ちょっとこれ、どうなんだ」というネタに切り込んでいきます。      言葉が死ぬ前に、残しましょう。

推しはいつかお前にも降臨する~芹沢あさひという神~

tadeku.net

 

あたしには、みんなが難なくこなせる何気ない生活もままならなくて、その皺寄せにぐちゃぐちゃ苦しんでばかりいる。だけど推しを推すことがあたしの生活の中心で絶対で、それだけは何をおいても明確だった。中心っていうか、背骨かな

『推し、燃ゆ』 p37

 

これは第164回芥川賞である宇佐見りん『推し、燃ゆ』からの引用である。

上記掲載記事は僕が執筆したのだけど、これを執筆した時は、どうも”推し”という概念が理解できなかった。

だからどっちかというと、これを読んだ時「へぇ~推しってこんな概念なのかあ」というくらいに思っていた。

自分に推しができてハマるというイメージがよくできていなかったので、他人事として見ていたが、記事執筆から半年もたたずにあっさり推しを見つけることとなる。

 

芹沢あさひ。

 「芹沢あさひ すき」の画像検索結果

 

今はともかく”推し”ができる事について語りたい。

 

ので、芹沢あさひを知らん人も”推し”について読んでいってほし。

 

 目次

 

 

◆”推し”ができた ~芹沢あさひ~

まだ”推し”ができた…という言い方をしていいのかわからないけれども。

”推し”という感覚が分かった、という言い方かもしれない。

正直これより前に3000文字ぐらいの前章譚を書いて、自分のオタク人生でいかに推しがいなかったかを書いていたのだけれども、ハッキリ言って無駄だから全部消した

”推し”ができるのは突然だし、それまでさっぱりできなかったし、順序なんてない。

だから私も安易に「君たちの人生に、推しを作ろっ!」なんて馬鹿げた頭ハッピーセットな言葉をささげるつもりはない。

推しは勝手に『降りて』くる。

 

「ある日」は唐突にやってくる

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その「ある日」がやってきて、僕は推しができた。

なので「いつかお前にもわかるときがくる…」と後方腕組み彼氏面をして推しがいない人々のことを眺めておくことにする。

その「ある日」がやってくるまで、作ろうと思ってできるものではないので。

 

と、ここまで盛り上げるわりには出会いは割とあっさりしたもんである。

 

ツイッターで芹沢あさひというキャラクターの二次創作漫画がちらちらと流れてくるもんだから、「ほーん、人気なのか」というのと、「何となくこのキャラ好きそう」と思って、芹沢あさひが登場するゲーム「アイドルマスターシャイニーカラーズ」を始めてみたのだ。

 

で、だいたいの沼にはいったんどっぷりつかってみるのだが、風呂でも入ったかのように「あ~さっぱりした」と沼から抜け出してしまうのが常だったが、どっぷり肩まで使ってみたらそのまま引きずり込まれた。 

 

 

何で推しになったかー。キャラクターの絶妙な立ち位置による、僕とのちょうどよい関係性なんだと思う。

 

◆キャラクターよ、こっちを見るな

芹沢あさひはハッキリ言って自由奔放キャラだ。

まったくもって制御が利かないし、『謎キャラ』なんて作ったものではない。

完全にその場の思い付きで行動しており、そこに深い意味や、オタクに媚びる意味もなく、プレイヤーに媚びる意味合いもさっぱりない。

一つ例を挙げよう。

まず、アイドルマスターシャイニーカラーズはアイドル育成ゲームである。

まだデビューしたてのアイドルを、プレイヤー自らプロデュースすることでトップアイドルへ押し上げていくのだが…。

(※今後「プロデューサー」と表記のあるものは「プレイヤー」を意味するので注意されたし)

この芹沢あさひは中学生。そして、自由。

どう自由かというと、突如「そば屋に弟子入りするっす!」とか言い出す。

 「芹沢あさひ そば」の画像検索結果

は?

 

別にそれが

次の仕事にたまたまつながります!

とか

蕎麦屋に好きな男性がよく来るから…

とか

プレイヤーさんのために…

とか、なーんもない。

そば、ストーリーに何の関係もない。

で、そばの出前を、そばの大将のおっちゃんと楽しそうにやったりしている。

そうかと思えば、街中でクワガタ見つけてよろこんで電柱に飛びついたりしている。

もうマジで、目の前しか見えていないタイプなのだ。

 

逆に言えば、この子、よくも悪くも”こちらを見すぎない”。

 

だいたいこの手のゲームは、プレイヤーを見る。

プレイヤーにベクトルを向ける。

プレイヤーと、接しようとする。

あまつさえ、”恋愛”ないしはそうとしか言えないぐらいの、

不自然な好意を見せることが多い。

 

まっ、オタクとか、恋愛とか、不自然な好意でも、

好意持たれたら嬉しいっしょ?とかいう舐めたシナリオを見かけることがある。 

 

はぁ~~(呆れ)

「ドラえもん あきれ」の画像検索結果

 

そういうシナリオを見るたびだいたいこういう気持ちになっている。

 

 

「べ、別にプロデューサーのこと好きじゃないし…」

 

やめろ。

 

「プロデューサーさん…♡」

 

やめろ。

 

"こちら"と関わろうとするな。

こちらを向くな。

こちらと恋愛しようとするな。

人と関わるのが嫌でゲームや創作に逃げているのに

なんでこちらに関わろうとする?

そして何よりも、こちらを向いている…だけではなく”媚びている”のは、

どうにも違和感を感じるし、その瞬間「あ、ゲームだ」と落ち着く。

それを感じさせないためには、純粋に「恋愛抜きで好きなんだな」といかに思わせるかであろう(そういう意味では後述するが、別に芹沢ひいきではなく、果穂ちゃんなんかも恋愛とかではなく純粋にプロデューサーを慕っているという感じがして好きである)

 

◆神の”見える”手

また、まだせめて恋愛になるのがわかるような流れであればよいが、大半がそういう恋愛あるいは恋愛のように見える流れに無理にもっていってしまったり、それありきでシナリオを組むから、どうしてもそこに違和感が発生する。恋愛…とまではいわずとも、「プロデューサーへの親しみ」というより「好意」に寄っている…というイメージ。

そこに『神の見えざる手』が介入している。

言葉の本来の用途とは違うが、ここで言う神は製作者のことである。

シナリオライターやそのスポンサーの思惑や、販売戦略によって、そういう手によって、キャラクターがプロデューサーを好きになるように動かされる。

(※本来の用途は経済学の用語)

 

それが結局、長くオタクやっていると、『神の見える手』になってしまう。

何度も何度も使い古されたテンプレが使用されたり、シナリオが急に変化すると、シナリオライターの実力不足なのか手抜きなのかもしれないが、「あっ、これ、”シナリオのためにキャラが動いた”んだな」と見えてしまう。違和感が浮き彫りになってしまう。

そうなった瞬間、僕らはゲームに没入して、アイドルに囲まれた夢のような二次元空間から引きずり出され、四畳半のカップ麺の食いかけが転がったクソみたいな一人部屋に戻される羽目になる。

 

一番いやなのはそこだ。

ハッキリ言って、「視聴者のいらんクソ性欲のためにキャラの芯をブレさせられた」というのがあからさま見れるとマジで「はぁ~~~~~(呆れ)」にしかならない

 

(追記 2020/2/16)

奥が深いんだが、「恋愛が一方的にダメ」なのではなく、「シナリオライターの意図が見えてしまうような恋愛シナリオは多く、そうなってしまうと嫌になる」ということが本筋。アイドルマスターシャイニーカラーズは他のアイマスよりもプロデューサー自体のキャラがたっているという指摘もあり、事実僕は他のキャラクターにおいて、「プロデューサーと○○ちゃんの組み合わせはいいな……」と思う組み合わせもあった。

(※それは「僕×○○ちゃん」ではない。あくまでプロデューサーという別の人間)

それは丁寧にシナリオを作り込んだからプロデューサーとキャラクターの恋愛や好意が違和感なく見えるのだが、どうもこの手のゲームにおいてはそこの恋愛にいく流れをさも当たり前のように、根拠なく持っていく傾向があり、それに対する批判であることを追記しておく。

(追記終わり)

 

一方で芹沢あさひは、プレイヤーたる芹沢あさひともちろんかかわりはするものの、

「プロデューサーさんありがとっす!!!すきっす!!!!!」とか言うものの、別に恋愛的に好きとかなんとか、そういうものはない。

「えへへ…プロデューサー大好き…」みたいなことは死んでも言わない。

逆に

「プロデューサー…お前嫌い…」みたいなことも言わない。

それ絶対後でデレるフラグじゃん~~~そのために言わせてるだけだろバーカバーカ恋愛至上主義どもめ。

そもそも芹沢あさひの興味の中心は、自分の周りを取り巻く目の前のことで、最終的にストレイライト(※所属しているグループのこと)に帰ってくるにせよ、基本は自由奔放なので、そもそもプロデューサーばかりに矢印を向けている暇などない。

 

だから、芹沢あさひを応援するということは、とても心地がよいことなのだ。

むしろ、それが”推し”という概念としてしっくりくるのかもしれない。

”恋愛的に好きで、関わりたい、一緒にいたい”というのとは違う。

遠巻きに見ていて、応援しておきたいのだ。

 

たとえあさひちゃんが自由奔放すぎて

「おーし!アイドル辞めて蕎麦屋始めるっすよ!」とかガチで言いだしても、

遠目に応援しておきたいのだ。

あさひちゃんが自由であることを我々は応援したいのだ。

だからあさひちゃんがプロデューサーと仲良くしている漫画も、あくまでも「仲良くしている漫画」でないと全く受け付けない、変に恋愛的になると嫌だ、生理的に無理。

 

そこには絶対的な壁があるだろうし、むしろ、あってほしいし、

芹沢あさひはこちらになびいたりすることはないだろうという安心感がそこにはある。

 

携帯やテレビ画面には、あるいはステージと客席には、そのへだたりぶんの優しさがあると思う。相手と話して距離が近づくこともない、あたしが何かをすることで関係性が壊れることもない、一定のへだたりのある場所で誰かの存在を感じ続けられることが、安らぎを与えてくるということがあるように思う。何より、推しを推すとき、あたしというすべてを懸けてのめり込むとき、一方的ではあるけれどあたしはいつになく満ち足りている。

『推し、燃ゆ』 p62

 

こちら側との隔たりが明確にあるからこそ、僕らは安心して”推す”ことができる。

二次元と我々には隔たりがその時点であるだろう。

しかし、シナリオでプレイする以上、一人称視点でプレイする以上、プレイヤーとキャラクターにも、ちゃんと一定の隔たりがあってほしい。

恋愛により”関わり”を持とうとする流れで、そこの隔たりが崩壊する。

向こうはこちらを見ることになるし、こちら側が勝手に”こいつに好意を向けられたいと思っているヤツ”として断定されることになる。

シナリオに勝手に自分が組み込まれ、近づきたくない距離まで無理やりにキャラクターを押し付けられる。

さながら『学校でただ仲良くしていただけなのに勝手に周囲が恋仲にしようともくろんで、「あっ、君たちは二人で帰ったら~?(笑)」とか囲いだしてクソ迷惑に思っている男女二人組』という状態である。

 

恋愛ゲームをやりたいときは恋愛ゲームをやるから。

頼むからアイドルゲームなんだから、純粋にアイドルを応援させてくれ。

勝手に恋愛要素に持ち込むな。

 

だから芹沢あさひなんだ。

僕は彼女みたいに自由にいたかったが、なれなかった。

だから彼女には自由でいてほしい。

いちいちこっちを向くな。

そんな暇があるか。

そんな暇があったら自由に飛び回れ。

老舗100年の蕎麦屋に「ナポリタンとか作らないんすか?」とか言ってくれ

「じゃ私が作るっす!」とか言って蕎麦屋の隣にナポリタン屋作ってくれ

そんなことするのにこっちみてる暇があるか?あるわけない。

 

『神の見える手』…によって芹沢あさひが縛られることは許されない。 

というか、おそらく縛ることは無理だ。

芹沢あさひはシナリオさえぶち壊すような、完全に「キャラ」として一人で立っており、シナリオを描く際に「シナリオに沿ってキャラが動く」タイプと「キャラに沿ってシナリオが動く」タイプがいるが、芹沢あさひは圧倒的に後者なのである。

シナリオ?知らないっす。

プロデューサー?まあスキっすけどね。

あ!カブトムシ!!!!!!!!

そんなことよりカブトムシっすよプロデューサーさん!!!!!!

そんなキャラである、芹沢あさひは。 

 

◆現代人には”神”となりうる背骨が足りない

急転直下でいきなり真面目な話をするが、現代日本人に宗教はあまりなじみがない。

宗教=新興宗教という誤った考えが広がってしまうほどには、欧米諸国のように

宗教が根付いていることはない。

もちろん、通常冠婚葬祭でどういう形式で行うか…という程度には宗教的文化は存在するが、そこに「神を信仰する」という概念は無きに等しく、「とりあえずそういう文化でなじんできたから」という感覚で葬式を上げ、火葬する。

 

しかし、はっきり言って現代人には神が必要なのである。

 

これは別に怪しい新興宗教に入れという意味でも、キリスト教に入れというわけでも、ない。

『神的存在』が必要、ということである。

それであれば別に何でもよい。

 

それがここで言う芹沢あさひであってもよい。 

 

「ドラえもん 呆れ顔」の画像検索結果

 

ふざけてはいない。至って大真面目である。

 

神のような、安定して頼れる存在、心の拠り所。『推し、燃ゆ』でいう背骨が必要ということ。 

 

あたしには、みんなが難なくこなせる何気ない生活もままならなくて、その皺寄せにぐちゃぐちゃ苦しんでばかりいる。だけど推しを推すことがあたしの生活の中心で絶対で、それだけは何をおいても明確だった。中心っていうか、背骨かな

『推し、燃ゆ』 p37

 

そのうえで重要なのがやはり”推し”という神を見つける事であり、その距離感なのである。

これが”推し”ではなく、好きな人、恋愛対象であったり、”手に入れたい”という感覚が強まると、途端にその人と関われるか否か、その人が生きているか否か、

その人が誰と関わっているか……に振り回されることとなり、神ほど安定した存在ではない。

別にその心の支えは何でもいいのだが、現実に寄り添うものであればあるほど、不安定感は増す。たまに仕事を生きがいにする人もいるが、以前職場の先輩から聞いた話で、仕事バリバリできる人がいて、それを生きがいにしていたが、脳卒中で倒れて一部体がまひして全く仕事ができなくなってから、そのまま鬱になった人がいたらしい(鬱になるような人じゃないから信じられないと言っていた)

現実のあらゆるものはいつか終わるし、いつか死ぬ。

 

だが、二次元推しは、永遠に生きる。

声優さんが死のうと、作品とコンテンツが死のうと、今もう世に出た時点で、

キャラクター自体が死ぬことはない。

 

わたしの心の中にキャラクターが住んでいれば、それで永遠に残るのである。

そうなればコンテンツが爆死しようが、公式がクソシナリオ連発しようが、

自分にとっての理想の推しを自分の中で生かしておいたままにしておけば、

それは自分にとっての神のような、絶対的に消えない心の支えとなり、背骨となる。

もちろんこれは気持ちの持ちようで、三次元を推しても可能であろうし、逆に二次元を推していてもコンテンツの終わりが推しの終わりと考えていれば、自分の中からたちまち消え失せる。

やはりそこに重要になってくるのは、キャラクターに対する信仰心…いや、

「自分にとってのキャラクターへの解釈」への信ずる力、信仰心なのである。

 

今僕は芹沢あさひが自由奔放なキャラだと書いた。

それを、いきなり芹沢あさひがプロデューサーとの恋愛に走るシナリオが出たらどうなるか?

そうなったら、今ある自分の中での、芹沢あさひの解釈と照らし合わせて、

「本当にプロデューサーと恋愛をするようなことがありうるか?」ということを綿密に精査する。

そうして、その解釈と違ったのなら公式を無視するし、解釈一致なら受け入れる。

そこには、自分のキャラクター解釈を信じる心がなければ、クソ公式に振り回されることもあるだろうし、逆に公式が神がかっていても、自分が好きなところは実は世間的にキャラのクソ部分と言われているところで、あっさり修正されて涙を呑むかもしれない。

 

わたしは芹沢あさひの自由奔放さに惹かれた。

ならそれを一生推し続けるだけであり、その後どういう解釈が出ようが、

自分の中の信仰心のみを糧に推していけばよい。

 

公式は同志ではない。たまたま目指す先が一緒なだけの、別国の兵士なのだ。

今は同じ解釈という同盟軍に所属しているから、公式とはたまたま争いを起こさずに、芹沢あさひの旗を立て、世間に突撃し、いろんな怪文書をまき散らしたりMADを作ったりして芹沢あさひを支持している。

だが、公式は別国だ。どこまでいっても。

いつかは自分の中の信仰心が強まれば強まるほど、公式という名の兵士との考えが合わなくなる時も来るだろう。

そうしたら、公式に従うのか? ひれ伏すのか?

違う。

自分の中の信仰心だけを味方につけ、同盟軍から外れ、一人生き続けるのである。

 

神の考え方も、根本は一緒だと思っている。

 

「常に自分の心の中にいるサイキョーのやつ」が、神だというのが私の雑解釈。

 

それで言えば、”推し”は広義の神ではなかろうか。

自分の中の”推し”――キャラクターの解釈――を信じるモノこそ、救われるのである。

その信じる心が強ければ強いほど、書けもしないシナリオを描きだすし、

絵を描きだすし、布教活動に励み、私の中の神を人々へ宣伝する。

そうしてさらに自分の中の神は確固たるものとなり、自分はより、

心の救われた世界へと飛び立つ。

 

 

オタクはよく「推しが神」とか「神絵師」というが、

本当に広義の意味での神が宿っているのである。

 

つまり、今僕の中にも、「芹沢あさひという推しへの解釈」という神が宿っていて、

それは今後シャニマスが終わろうが、芹沢あさひのシナリオがめちゃくちゃにされようが、信仰心が途切れない限り消えることはないのである。

 

という理屈を経たんで!!!!!

芹沢あさひは神ってことなんで!!!!!!!!!!

よろしくね!!!!!!!!!!

ダウンロード

 

ここでねえ~~~

めちゃくちゃ早口オタクになるんですが正直芹沢あさひって自由奔放なんだけど腑抜けって感じじゃないんですよ天才的にダンスうまいしボーカルもかっこいいんですよ、それでね、それなんでかというと結局目の前のことにばかり振り回されるからそれでダンスやボーカルも楽しくて延々と練習したりしてるわけですね、本人にとってそれが楽しいからどんどん吸収するんですね、そうやって天才が作り上げられていく、だから目の前で初めて見たダンスを完コピしたりするんすよ、そうやって自由奔放で一見「腑抜けっぽい」ように見えてパフォーマンスになるとカッとかっこいい感じになるんですよ、そのギャップもたまらんのですよね、でね、曲調も「アイドル」って感じのきゃるっとした曲じゃなくてかっこいい奴ばっかなんですよ、だからそれで余計にギャップで死ぬ、それでアイマスがうまいのはね、そこから中の声優さんのライブがあるんすよ、それのクオリティもヤバいんですよ、そうして僕らはライブでゲームの中の「ストレイライト」のすごさを疑似体験できるんですよ、それでやべ~~~となってどんどんハマってく、しかもね、僕最初芹沢あさひだけ好きだったんですけど、芹沢あさひの解像度を上げていくには芹沢あさひ周辺、つまりストレイライトを追いかける必要があるんですよ、そうしたら冬優子ちゃんとあさひの掛け合いがめちゃくちゃよくてね、その流れで冬優子ちゃんも好きになるんですよ、それでそこ二人の喧嘩をうまくなだめてるのかと思いきやあさひちゃんの悪ノリに乗っかり続けたりする愛依ちゃんも可愛いなって好きになるんですよ、それで「あ~これが箱推しというやつか~」という感じで、ストレイライト全体を好きになるんですよ、あのね、ストレイライトのシナリオは全体的にクオリティ高くてね、キャラがシナリオにあまり振り回されてない印象を受けるんですよ、だから僕が好きっていうのもあるのかもね(笑)だから僕すぐストレイライトのCD買ったし、BDも予約しましたよ、あ、君金がないからこれ出来ないと思った?(笑)実はね~そんな君におすすめのCDあるんすよ、THE IDOLM@STER SHINY COLORS GR@DATE WING 01のCDがあるんですよ、ファン感謝祭ってゲーム内でもあるんですけどね、このCD、ファン感謝祭を実際にライブでやった映像BD付きなんですよ、あ~はいはいそんなの高いでしょオタクグッズだしって思うでしょ?思うじゃん?あのね、2800円(笑)やばいでしょ?だからすぐ買いましょ、まずゲームやってそれで芹沢あさひやってほしいの、次に果穂ちゃんね、放クラの。あの子もね、かなり純粋キャラで恋愛とかなさげだからよくてねそれでね


(省略されました。続きを読むにはTwitterをフォローしてください)

 

おわり。 

 

おまけ

 いうてハマってからまだ2週間も経ってない

 

つづき↓

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推し、燃ゆ

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