言葉は水物、すぐに死ぬ

月間10万PVありがとう。Twitterの話題を中心に「ちょっとこれ、どうなんだ」というネタに切り込んでいきます。 言葉が死ぬ前に、残しましょう。

上級国民炎上に感じる違和感は、ハンナアーレントが教えてくれる

※わかりづらかったので「上級国民の炎上は"わかったふりをしている大衆"が生み出している」から改題しました。

 

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上の記事の続きです。

 

だいぶバズったんですが、バズった勢いがぼちぼち落ち着いてきたので、このあたりで冷静な分析を挟もうかなと思いまして。

 

僕は前記事のツイッターでこんなこと言いました。

 

 

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先に言いますが、上級国民の炎上事件一本だけでアウシュビッツは生まれませんし、何よりいろいろとまだ条件が足りません。

 

しかしだからといって、大げさに書いただけで全く根拠のない話かというと、そうではありません。

実際にユダヤ人迫害の歴史をたどっていると、その第一歩と同じところに来ているなという印象があるからです。

 

そもそも、みなさんユダヤ人迫害の歴史をご存知でしょうか?

僕もそこまで詳しくないですが、たぶん大半の人は「なんでかヒトラーユダヤ人ねたんでて、ユダヤ人を敵にして迫害しちゃったんだよね」としか知らないでしょう。

 

そうなると、ヒトラーも、ユダヤ人を迫害した人たちも、僕らからしたら「ようわからん怖い人たちやなあ」と思いますが、違います。

 

なぜか?

そもそもユダヤ人迫害とは

「金持ちや地位の高い人間にユダヤ人が多い…ユダヤ人が不当にそういった地位を得ているのでは!?」という陰謀論から始まっています。

 

なんとなくイメージできたでしょうか?

そうです。今回の上級国民へのヘイトと似ているのです。

そして、ユダヤ人迫害の原理を考察し、それを生み出したのは”全体主義”である、と書いたのが、ハンナ・アーレントでした。

全体主義の起源』を書いた彼女は、ユダヤ人であり、生涯ユダヤ人迫害やそれに関する事件の考察をしておりました。

 

先ほど申しあげたように、まだまだ、アウシュビッツを生むような状況とは程遠いです。

しかし、ハンナ・アーレントが『全体主義の起源』で述べている中身が、非常に今回の状態と類似しており、学ぶべきところがあると感じております。

 

今回は、まずそのユダヤ人迫害の、歴史というよりは、「なぜそんなにもユダヤ人にヘイトが集まったのか?」というところと、それが上級国民の炎上とどう関連しているのか?

第二のアウシュビッツを生みかねない可能性はどこに潜んでいるのか?

全体主義とは?

今回の炎上はいったい何が危険なのか?

 

それを書いていきたいと思います。

 

 

※注意

私は隠蔽は絶対に許しません。

ただ、今は隠蔽と判断するのは早計すぎるので静観している状態です。ですので今回の記事を、「隠蔽を擁護する派」あるいは「隠蔽を暴く派」のような、安易な二元論で分けないでいただけると幸いです。どちらでもありません。

そういった意図はないのにすぐに「お前は隠蔽を擁護しているのか!お前も上級国民か!」というとらえ方をされるともううんざりです。

「隠蔽は許さないとして、その暴き方や市民の動きはどうなのか」という分析であることをご理解ください。

 

 

 

以下、目次

 

ユダヤ人への世間の印象~陰謀論の根っこ~

ハンナ・アーレントが警鐘を鳴らした全体主義の時代

③中身が正しくても、”上級国民”というワード一つで、こんなにも違う

④知識がなければ、権力者に利用されるだけだがそれでいいのか?

⑤みんなハンナ・アーレントを読もう

 

 ユダヤ人への世間の印象~陰謀論の根っこ~

 ユダヤ人に対して、そもそもどういうイメージをヨーロッパ諸国では持たれていたのか?

それがわからないと難しいと思いますので、まずはそこを分析していきましょう。

一番わかりやすいのは、シェイクスピアヴェニスの商人」です。

ヴェニスの商人のあらすじをざっくりと書きましょう。

(注:今回の話に関係のない部分はほぼ飛ばすので、詳しく読みたい人は別途参照してね)

 

 

ヴェニスの商人(アントーニオ)は、親友であるバサーニオが求婚をするための資金集めを試みておりました。しかし、すぐに金が用意できそうになかったため、ユダヤ人の高利貸シャイロックから借りることにします。

しかし、日ごろからアントーニオに怨みを持っていたシャイロックは、とんでもない条件を提示してきます。

「もし期日までに返済できなかったら、アントーニオの体から肉1ポンドを切り取る」

とんでもない条件です。しかし、必要な金を貸してくれるのは事実。アントーニオはシャイロックから借りました。

その後、アントーニオが返せそうにないとわかると、シャイロックはおおいに喜びました。

しかし最終的には、シャイロックが金を取り立てようとした裁判で、逆にむしろ金を取り上げられ、キリスト教に改宗せよと命じられてしまう、というとこで、まあ悪人が成敗された、というようなお話になっております。

 

 

まず前提知識として、ユダヤ人はキリスト教の人々から嫌われています。なぜならキリストの処刑に間接的にかかわった人種だからです。最後にキリスト教に改宗せよ、となっているのはそういう意図があります。

また、キリストのお話で有名な”裏切り者のユダ”もユダヤ人です。

そういう土壌があったため、ユダヤ人はかなり古くから迫害されています。

 

もっと詳しく知りたい方はこのブログが参考になります↓

ユダヤ人が迫害される理由Ⅰ~ユダヤ人の歴史〜

 

さて、そのうえで、このヴェニスの商人ではシャイロックは高利貸なのですが、そもそも金貸し自体が汚れ仕事として扱われておりました。

古くから、キリスト教の影響で迫害されていたユダヤ人は、そういう仕事に就くしかなかったのです。

しかし皮肉なことに、その金貸し業で巨万の富を築いたユダヤ人は多数おり、それがさらに妬みの対象となります。

このヴェニスの商人では、金貸しで儲けている、憎たらしい冷酷な高利貸としてユダヤ人が描かれているのです。

 

そして、ユダヤ人自体、能力が優秀な人種で、ノーベル賞の授賞者の2割はユダヤ人であるといわれております。

 

金持ち、かつ、優秀。

19世紀のオーストリア・ハンガリー帝国の首都ウィーンでは、大学教授の4割、医者や弁護士の5割がユダヤ人で占められるようになりました。

 

それに対して、「ユダヤ人が不当によい地位についているのではないか?」という目を向ける人が増えてきました。

そして登場したのが、20世紀初頭に出てきた、「シオンの賢者たちの議定書」であります。

 

シオンの賢者たちの議定書とは、シオンの賢者と呼ばれるユダヤ人の指導者たちが企んでいた世界征服・世界支配の計画書であります。

しかし、それは結局偽書であり、事実無根でありました。

ただそのシオンの賢者たちの議定書は、偽書であることが証明された後も、どんどん広がっていきます。

どこかでその流れが止まればよかったんですが、その流れを加速させるかのように、事件が起きます。

パナマ運河疑獄です。

パナマ運河の建設に関して、政府関係者にわいろを贈っていた人物がおり、その人物がユダヤ人でした。

つまり、「ユダヤ人が不当によい地位に就こうとしている!」という陰謀論を補強する形になってしまったのです。

こういった事件をきっかけに、一度は偽書と呼ばれた、シオンの賢者たちの議定書は再燃し、反ユダヤの人々の中で読み込まれていくようになります。

 

ハンナ・アーレントが警鐘を鳴らした全体主義の時代

 

全体主義という言葉は、はっきり言って難しいです。

なぜなら時代によって、その言葉の意味が結構違ってくるからです。

だもんで、ここでは「ハンナ・アーレントが述べていた全体主義」を、ここで言う全体主義、としておきます。

 

ハンナ・アーレントは、全体主義は、”大衆”が生み出したといっております。

この大衆という言葉も、ハンナ・アーレントがどういう定義で述べていたか、実際の著書から引用してみましょう。

 

「大衆」という表現は、その人数が多すぎるか公的問題に無関心すぎるがゆえに、共通に経験され管理される世界に対する共通の利害に基づく組織、すなわち政党、利益団体、地域自治体、職業団体等のかたちで自らを構成することをしない人々の集団であればどんな集団にも当てはまるし、またそのような集団についてのみ当てはまる。大衆は潜在的にすべての国、すべての時代に存在し、高度の文明国でも住民の多数を占めている。ただし彼らは普通の時代には、政治的に中立の態度をとり、投票に参加せず政党に加入しない生活で満足しているのである。

 

ざっくりいうと、各々の個性が尊重された分、各々がバラバラになった存在のことで、だもんで政治には全く無関心の層、ということを述べています。

どういうことかというと、昔は階級社会であったため、自身の階級という仲間がおりました。

そしてその階級が不当な扱いを受けている場合、政治に参加せねば自分たちの生活はよくなりません。だもん昔の人々は政治に積極的に参加しました。

しかし、それがなくなった時代では、今自分がどこの地位にいて、どういう集まりなのかはさっぱりわかりません。

 

例えば、僕は「社会人」というグループに属していますが、その中でも「建設業」「通信業」「サービス業」など、いろんなグループに細分化されています。

さもすれば「男」というグループでもありますし、はたまた「ブロガー」、はたまた「ゲーマー」、「読書家」だったりします。

どこか固定のグループがあればいいのですが、今や終身雇用も終わりをむかえようとしている日本、職種=階級、というほど、職種に強い仲間意識を持っている人はいないと思います。

 

わかるでしょうか?

以前の階級社会の時代、階級そのものを変えることが難しいです。階級からぬけだす、ということが非常に難しいです。

ただ階級の待遇を変えることはできる。だから政治に参加する。

 

しかし、今現在では、階級にあたりそうな、職種も変えられる、性別も自由に発言できる、明日からブロガー名乗って会社やめてもいいですし、逆に会社には属しつつもあしたからサーフィン初めてサーファーを名乗ってもいい。つまりわざわざ政治を変えようとするよりも、自分の今の居場所を変えたほうがある種楽なのです。

 

ようは、大衆とは、自由すぎるがゆえに、政治に興味を持たなくなった層なのです。

当たり前と言えば当たり前でしょう。

なので迂闊に「最近の人は政治に興味がない!!」と断罪することはできないような気がします。

 

ファシスト運動であれ共産主義運動であれヨーロッパの全体主義運動の台頭に特徴的なのは、これらの運動が政治には全く無関心と見えていた大衆、他のすべての政党が、愚かあるいは無感動でどうしようもないと諦めてきた大衆からメンバーをかき集めたことである。

 

そういった大衆の集まりでファシスト運動は始まりました。また、本文ママで引用個所を見つけられませんでしたが、ハンナ・アーレントを分析している関連書籍では「政治を語らない層ほど、不満が出てくるとにわかに政治を語りだす」ともハンナ・アーレントが述べているとの記載があります(書籍は最後に載せます)。

 

大衆は何も信じないが、何でもすぐに信じる。

 

これが一番大きな部分です。

何も信じないからこそ、何も考えていないからこそ、手前にすでに誰かが考えた陰謀論や、ファシスト運動において政府が考えた発想を、そのまま信じるしかなく、それを疑える知識や発想がないのです。

そして何よりも、大衆にとってそれが一番楽なのです。

なぜなら、自分で居場所を決めるのが難しいからです。

 

自分は、男?女? それはまあわかるでしょう。

なら、自分は社会人のままでいる?そうにしても、会社はここでいいの?職種は?ああそれ以外の収入はいらないの?株トレーダーになる?ブログでも始める?ブログもどんなものを書く?それとも絵でも描く?

 

居場所がありすぎて、そして、どこにでも自由にいけてしまうからこそ、誰かに居場所や階級を決めてもらったほうが、楽なのです。

だから、 今回の炎上であがったような、”上級国民”という与えられた言葉を簡単に使ってしまい、自分らを勝手に下級国民にして、政府のお偉いさん方を上級国民としてしまうのです。

上級国民と言われている方々も、最初は下級国民に分類される方々だったでしょう。

しかしそこから努力をしてそこに上がってきている人もいるわけです。

つまりは、別に自分も上級国民になれる可能性はあるわけです。今は階級社会ではありませんから、もちろん完全なる平等まではいかずとも、勉強して東大出て国家公務員試験受かれば、官僚になる可能性はあるわけです。

あくまでも可能性の話なので、そもそもの家庭環境が非常に悪く、そんなことできないよ!そんなこと言うな!という方もいらっしゃるとは思いますけども、何度も言いますが少なくとも中世のガチの階級社会よりかは確実に緩くなっているということです。

まだまだ階級のようなものは残っているでしょう。

完全に撤廃はできていないでしょう。

しかし、昔とは違う。

 

何が言いたいかというと、”完全なる階級社会では今は少なくともない。ただ、その階級を勝手に大衆が生み出している”ということです。

 

色んな社会問題があり、平等ではないということはわかっております。

ですから、不平等に関して、社会問題に関して知識を得て論ずることは何も問題がないことですし、むしろもっと進めていくべきことであります。

しかし今やっているのはそうではなくて、”上級国民という階級を作り上げ、その階級の人間が不当に良い利益を得ている”という発想の仕方なのです。

わかりますか?

似ているようですが、”官僚が天下りなどで、不当に良い利益を得ているのではないだろうか”と論ずることはいいことで、別にそれはそれでいいのです。

この違いが判るでしょうか。ある一つの社会問題があり、それを学習したうえで指摘しているのが後者になります。

一方前者は、”上級国民”というふわっとした、どこを指すかもはっきりわからない階級を作り上げたうえで、”不当にいい利益を得ていると思われる”事案すべてに適応しているだけなのです。

不正に関して正していくには、それぞれ別個の問題があり、”上級国民だから不正し放題なんだ!!!!!!!”という指摘は、仮に不正自体が本当だったとしても、『上級国民”だから”』という論じ方は間違っているということです。

 

だから何度も言いますが、政治の地位を不当に利用した不正が本当にあるならば、そこを明確にしてたたくべきです。それの指摘自体は問題ないのですが、それはもしかしたらある省庁特有の問題かもしれない。はたまた政党の問題なのかもしれない。そういう問題の細分化が必要です。

それを考えることをやめ、”上級国民”と括ってしまっているのがまずい、ということです。

 

勝手に新たな階級を、知識もない人が生み出していること、それが問題なのです。

 

わかったふりをして、何もわかっていない。今まで何も信じてきていないから、何も知らない。

けどさもわかったようなふりをして、「俺は世界の裏側を知っているんだぞ」という顔で陰謀論を語る。

 

それはまさに、ハンナ・アーレントが語った、ファシスト運動に利用されてしまった大衆、全体主義における大衆、そのものなのです。

 

 

この問題の危険性は、解釈がどんどん拡大し放題になってしまうことです。

なぜなら、誰も上級国民というワードの明確な定義を語れないからです。

あなたそのワード使っていますが、明確にどういう人種を指すかお話しできますか?

 

その上級国民というワードがあいまいであればあるほど、ざっくりと、「偉い人が、不正をした」という事件すべてに関して、「これも上級国民が不正をしている!!」という風なくくりで批判することができる。

「これも上級国民ではないか!!?」

そうやって解釈がどんどん広がり、上級国民というワードだけが独り歩きする。

 

そうすると、日本のすべての裏側で、上級国民という存在がさも大きな顔をしているように見えてきてしまう。実際は会社単体の腐敗、政府だけの腐敗、ある一個人の不正、と、ばらばらのはずの問題に、”すべて上級国民が悪いんだ”という発想が出来上がってしまう可能性が、大いに存在するのです。

 

③中身が正しくても、”上級国民”というワード一つで、こんなにも違う

ただ、冒頭で「アウシュビッツとは程遠い」とお話しましたが、程遠い要因が二つほどあります。

 

・今回批判の対象となっている”上級国民”は、実際に事件を起こした人物であり、一定の裁きは受けなければ国民は納得しない

・人種差別がらみではない

 

この二点です。

ユダヤ人迫害に関しては、罪のない人々が殺されましたが、今回は罪がある人間です。

そこはユダヤ人迫害との大きな違いです。まだまだ程遠い。

 

ともかく、今回の人に関しては、なんらかの社会制裁は受けるべきであり、そうでなければ国民は納得しません。

何故なら、そうでなければ、同じように年配の方が、運転を繰り返す可能性が残ってしまうからです。理不尽な事故が、起こってしまうからです。

ここで厳罰化あるいは高齢者の免許書返還の義務化の問題がしっかりと議論されなければ、国民も被害を受ける可能性が高いわけです。

だったら上級国民を批判してもいいじゃないか!

と言うかもしれませんが違います。

僕がよいと思う批判と、悪いと思う批判を以下に列挙しましょう。

 

 

〇今回の事故をきっかけに、高齢者の運転を見直さなければ、母子の命が無駄になる。なんとしてでも変えていかなければいけない社会問題だ

×この上級国民を死刑にしなければ母子の命が無駄になる。不正をするような人間は死刑にすべきで、無理なら終身刑にでもすべきである。

 

〇今回のような事故を得て、危険運転致死罪の拡大化が必要なのではないだろうか。高齢者ドライバーは認知症や痴呆もあり、なかなか罪に問われない。飲酒運転事故を危険運転致死罪で厳罰化して厳しくしていったように、高齢者ドライバーの運転も危険運転致死罪で問えたりするのは、難しいのだろうか?

×上級国民様は何をしても罪に問われない。僕らが団結してかならず上級国民が厳罰を喰らうことを望む。

 

〇日本では見せしめ逮捕というように、逮捕自体が見せしめの意味合いが存在する。もし見せしめ逮捕を、官僚同士のつながりで忖度し回避したのであれば、政治の腐敗である。なんとしてでも暴いていかねばならない。

×上級国民に忖度をした警察が逮捕を行わなかった。これは政治の腐敗である。

 

 

この違いが判るでしょうか?

 

一番上は”高齢者ドライバーの事故の多発問題”である。

二番目は”高齢者ドライバー事故の厳罰化の可能性”の話である

三番目は”官僚の不正”の問題である。

 

つまりどれも論じていることは違うんです。

論じていることは全く違う話なのに、上級国民というワードを使うことで、”上級国民を裁けばそれですべてが解決する”というようにみえてしまうんです。

 

特に三番目をご覧ください。これは呼称を”官僚”と言うか、”上級国民”というかの違いだけで、論じていることはほとんどおんなじなため、この理論単体では、特に問題がないように見えます。

 

つまり一番まずいことは、全ての問題を”上級国民”というワードだけで語るのがまずいということです。

 

そうすることで、全く同じことを言っていても、個別の問題ではなく、全てがすべて上級国民だけが起こした問題であり、そいつをみんなでぶっ殺せば解決する。

 

そういう発想が蔓延することで、むしろそれを政治が利用する可能性があります。

 

⑤知識がなければ、権力者に利用されるだけだがそれでいいのか?

どういうことかというと、今上級国民という存在にヘイトが集まっています。

つまり、この上級国民がきっちり裁かれたら、国民は満足するわけです。

そんな中、実はこの元官僚の上級国民に忖度をしようとした官僚がいたとします。

まずい! と思った官僚は、自分へ矛先が向かわないように、上級国民を終身刑にできるように、不正を繰り返し、取り計らいました。

そうして国民たちは「やった!やった!」と口々に叫び続けます。

一方で、当の不正をした本人は生きているため、裏で政治の腐敗は全く治らぬまま、腐り続けていくのです。

 

わかりますでしょうか?

純化した議論や発想は利用しやすいのです。

国民が望むものが非常にわかりやすい。

そうすることで、それがさらなる不正の温床となってしまうのです。

 

ジョウキュウコクミンガー!!!!!!!!!

と騒ぐことは、むしろ逆に彼らの言う上級国民に利用されることを加速させているのです。

 

それをわかった上で、上級国民というワードを使い続けるのであれば、救いようがないので止めません。

 

前のブログでもさんざいいましたが、知識のない国民、知識のない大衆は、利用しやすいのです。権力者に騙されるばかりなのです。

 

ファシスト運動で利用されたのもそういうことなのです。大衆をひとつの方向に走らせれば、それさえすれば皆が満足する流れになるため、政府側としてこれ以上楽なことこのうえない、世論の操作も印象操作も簡単です。

今この問題で言えば、この事件に関してもし仮に別の不正を行っていた人がいたとしても、全て上級国民のせいにして裁いてしまえば、自分には何も世間の目が向かないからです。

 

逆に、現政権を覆したいという野党の人物が別にいたとして、わざとこの上級国民を無罪放免とするように取り計らう人がいるかもしれません。

そうなったら、世論は現政権、政府、その方向に批判を向けます。

そこに先程の野党の人が「現政権は許せん!!なんとしてでも倒しましょう!!!」とさけんだら、圧倒的な支持が得られるでしょう。

 

それでいいんでしょうか?

仮に今このブログを読んでいて、上級国民を批判している人、どうでしょうか。

あなた方のいう上級国民が本当にいたとしても、あなた方がやっていることは分かりやすすぎて、そして何もかも間違っています。

あなた方が言う上級国民に、利用されてしまうのです。

あなたがされたくないことを、されてしまう土台を、あなたが自分で作っているのです。

自分でこれから生き埋めにされるための穴を掘って、自分でその穴に入って、自分で土を被せているんです。

 

それでいいんでしょうか?

 

よくないですよね。

 

なら、しっかりと知識をつけましょう。

 

 

⑥みんなハンナ・アーレントを読もう

 

今回引用した書籍は以下になります。

 

 この書籍の流れを参考にこのブログは書かれております。

ハンナ・アーレントは先述したように、全体主義に関して、いわばユダヤ人迫害に関する考察を重ねてきた人物です。

 

特に今回引用した全体主義のお話は、ハンナアーレントが記した「全体主義の起源」がもとになっています。

 

全体主義の起原 1――反ユダヤ主義 【新版】
 

 

三巻構成になっており、大衆に関する話は3で書かれております。

 

ただこういった本は、直接もとになった原書を読むと難しいので、解説本をおすすめします。

 

 

今こそアーレントを読み直す (講談社現代新書)

今こそアーレントを読み直す (講談社現代新書)

 
アレント入門 (ちくま新書1229)

アレント入門 (ちくま新書1229)

 

 

こういった本から、ハンナ・アーレントの思想、全体主義の思想を学ぶことが、今回ブログで取り上げたような炎上を防ぎつつ、適切に政府や政権に意見を言えるようになる土台になると考えています。

 

今回の炎上に「あれっ?」と思ったかたは、必ず「悪と全体主義」の新書にも、共感していただけるはずです。

 

まずそこから読んでいただいて、ハンナ・アーレントの思想から色々と得ていただけると幸いです。

 

以上です。ここまで読んでいただきありがとうございました。