言葉は水物、すぐに死ぬ

月間10万PVありがとう。Twitterの話題を中心に「ちょっとこれ、どうなんだ」というネタに切り込んでいきます。      言葉が死ぬ前に、残しましょう。

僕にとっての、「本を読むこと」の効用

「本を読め!」

「本は素晴らしい!!!!」

 

こういうのはハッキリいって嫌いだ。

いや、嫌いというか、言い方による。

「(俺は)本は素晴らしい(と思うよ)」

なのか

「(みんな)本は素晴らしい(と思えよ)」

なのかによる。

 

後者は死ぬほど嫌いだ。

本が与える効用なんて、人によって全く違う。

読解力が上がる効用もあれば、むしろ頭痛を引き起こす効用もある。

人によっちゃ、ただの睡眠導入剤だ。

 

だから君らが本を読んだところでどう思うかは知らないし、僕の本の読み方にどうこういってほしくないわけだが、ただたんたんと、「僕が本を読むとき、こういう気持ちになるよ」という話だけをするので、参考にするなり、叩くなり、好きにしてほしい。

 

 

僕が本を読むのは、沈みたいときである。

 

どうもインターネットをしすぎていると、瞬時にあらゆる情報を処理せねばならず、情報をたくさんいれることに注力せねばならない。

そうすると、ひとつの情報に割ける脳内リソースはちょびっとしかない。

だもんで、表面的には脳を使って色んなことを忘れることはできても、実際には思考としては浅いので、すぐに切り替えが出来る。

 

ようは、別のこと、別のやりたいことがすぐ出てきてもパッとそちらに頭をきりかえること出来る。

逆に言えば、めちゃくちゃ辛くて忘れてしまいたいことがあるときだと、インターネットをしていてもすぐに辛くて忘れてしまいたいことが頭のなかに浮かんできて、そちらが頭の中を占めてしまい、インターネッツの情報を追い出してしまう。

 

そういうときに読むのが、本である。

 

なんでもいい。

ただ目の前に、それしかない状態。

スマホ電子書籍もだめ。

日本人の一億人中一億人が「電子書籍も紙も変わらん」と言っても、僕はダメ。

完全に、それひとつ、作品だけがただ肌身のままでそこにいないとダメ。

LINE通知だとかtwitter通知だとか余計なちょっかいをかけるし、通知を切っても「今LINE来てるかな………」「ブログのアクセス数どうなってるかな………」「Twitterで誰か呟いているかな………」そんな誘惑がまたちょっかいをかける。

 

だから、本が一冊、そこにあるだけの姿が望ましい。

これは圧倒的主観、THE主観、ハイパー主観。

自己中心的考え方。

なので「いやkindleなら同じやろ」と言われても知らん、他人に強要はしないが僕は絶対紙がいい、それだけだ。

 

ともかく、紙の本それ一冊だけが目の前にあり、そこに集中できるのがとてもよい。

それで僕は沈む。

ずーーっと、ゆっくり。

ぽちゃりと投げられた、僕。

思考の海に投げ込まれた僕。

それは浮力でちょっとだけ抵抗しつつも、ゆらゆらと海底にむかってゆっくりと進んでいく。

文章を一行読むたびにどんどんと深みに進んでいく。

 

そうすれば、なにも上がってこない。

嫌な感情も嬉しい感情も、いらん思考も仕事の頭も、すべて置き去りにして、ただただ目の前の小説のことだけを考える時間が出来上がり、いつしか思考の海の底にたどり着く。

 

そこが、僕にとって最高に居心地のいい空間なのである。

それを得られるのが、紙の本なのである。

小説なのである。

 

これが僕の本の効用。

「効用:よく沈めます」と書いてある処方箋。

 

かさばってでも、一週間のうち5秒たりとでも本を開かなくても、必ず本をバッグに入れておく。

いつでも沈めるように。

いつでも、深く、深く沈めるように。

 

 

というわけで、僕が沈める本を貼っておく。

深く深く、沈んでいける本。

感想は一切書かない。

僕の主観にしか過ぎないから。

 

これはペンです (新潮文庫)

これはペンです (新潮文庫)

 

 

 

あひる (角川文庫)

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