言葉は水物、すぐに死ぬ

月間10万PVありがとう。Twitterの話題を中心に「ちょっとこれ、どうなんだ」というネタに切り込んでいきます。 言葉が死ぬ前に、残しましょう。

”ネットに人の心はない”その根深い文化~ネット黎明期と今の、ネットの扱い方~

www.845blog.com

えーこの本ブログですが、かなり反響いただいて驚いています。

いろいろとコメントありがとうございます。

基本的に同調してくれた方がメインでRTしてくださっているので、「そうだよねー!」というコメントが多かったですが、逆に反論ももちろんいただいております。

(直接リプライ、はあまりなかったですが)

 

その中で大半出てきたものでひとつ。

 

「インターネットに何を期待しているのか?」

「インターネットに人の心があると思っているのか?」

 

こういったニュアンスのコメントです。

ここで思ったのが、僕ももともとこういう考え方でしたし、今もそんなに変わっていません。

「ネットはかなりきつい物言いの人が多いので、きついならネットやめたほうがいいよ」という考え方。

しかし、それは先のブログと矛盾が生じますね。

だってネットやってる人々に「人の心を持て!」というブログなんですから。

 

じゃあなんで、僕は今回のようなブログを書いたのだろう?

ネットに人の心はないよ、という意見にどう立ち向かっていくべきなんだろうか。

 

そこはたぶんですね、ネット黎明期と今ではネットの扱い方、ネットでの振舞い方、文化、ユーザー層がだいぶ複雑化したからだと思っています。

特に、TwitterというSNSの特異性もあるかと思います。

かなり昔からネットには「ネットになじめない人はネットやらないほうがいい」という感覚があります。なんでそういう意見が出てくるか?というのにはちゃんと文化の流れがあると思っていますので、そこを考察して行こうと思います。

 

これは「インターネットでもモラルをもつべき!」派の人にも「インターネットはこういうもんだからしゃーない」派の人にも読んでほしいと思っています。

 

以下、目次。

 

①考察:ネット黎明期の雰囲気

 初期はネットはリアルと完全に違う世界でした。そのときのことを主観を交えて書きます。

②考察:モバゲー、GREEの登場~ケータイの普及~

 このあたりから、リアルとネットが混ざってきます。

 

③考察:複雑なTwitterユーザー層

 それらを踏まえたうえで、Twitterのユーザー層は黎明期の人間もネット初心者もいる複雑な界隈であり、それに関して現状起こっていることを考察していきます。

twitter民、なんだか勘違いをしているが、そのノリ続けるとまずいぞ。

④意見:一歩だけ、譲歩しよう。

 じゃあそういう文化圏でどう生きていくべきか。こちらが相手に善を求めるなら、こちらも善をもって接しなければならない。先のブログに反論をいただいたことを踏まえて、最終的に行き着いた結論を書きます。

 

 

 

①考察:ネット黎明期の雰囲気

黎明期をいつとするか、でまた議論が白熱しそうですが、いったんおいて置いて、とりあえず自分の肌感覚の話をさせていただきます。

自分が始めてインターネットに触れたのは2000年ごろ。ギリギリダイヤルアップ接続とかあった時代の話です。

そのころからネットをやっていて、まあといっても小学生だったので、おもちゃとして遊んでいるかんじでした。

なのでフラッシュゲームや、プリインストールされているゲームをやったりとか、そんなかんじがメインでした。

たしか中学ぐらいに入って、そこで初めて交流することが増えてきました。

掲示板とか、ですね。

名もない掲示板や交流サイトを使っていましたが、そのときはみながみなハンドルネームがあることが当たり前でした。

本名は使いません。

また、自分の私生活のことはあまり話さない人が多く、仲間内とゲームや趣味をワイワイやるためにいろいろと話す人が多かったです。

2chでは自分のことを話す人が多い(電車男とか)ですが、それはあくまでも匿名で、特定されずらいからであって、固定のアカウントを所有しているゲーム内などでリアルの話はあまりしないのが普通だったような雰囲気がありました。

もちろん「いやいや、俺はそのときからリアルとネットは連結していたよ」という人もいるかもしれませんが、僕の肌感覚的なところでいうと、

「あくまでもネットとリアルは別物」

と分けたい感じが主流にあったように思います。

そもそも連結させる必要もあまりなく、かつ、どっちかというとネットを積極利用している人間がまだまだ少数派に近く、連結しようにも周りで共通のゲームやサイトを見ている人も少なかったのかなと思います。

だからこそはっちゃける人も多かったですし、そこに人の心があると考えるとか論外な時代でした。

みんな匿名で他人をボコボコにするし、逆に「ネットで匿名でボコボコに殴られた!」とリアルで騒いでも「ほーん」という感覚でした。

ネットとリアルがそんなに結びついておらず、ネットの固有のアカウントとかゲームアカウントとか、ちっさいブログとかしかなかったので、「んじゃネットやめれば?」としかならんかったですから。

まあ極端に言えば「ネットでいじめられたからってリアルで気にする必要あるか?」という感覚、でしょうかね。

だからめちゃくちゃ罵倒飛ぶし、訳わからん逆切れくるし、めちゃくちゃだったですね。

んで、別にネットで匿名ですから、そこの掲示板から去れば問題なし。

あとは一日二日たって他人の顔してやってくれば、それが誰かなんてわかりゃしない。

そうせずにやたらいじめられたことに対して過剰に反応する人に対して、住民は「なんでこんな執着するんだ?レス返さなきゃいいのに笑」という感じでした。

匿名性が強い2chでは、特に煽り耐性を求められました。

先にあげたように、黙ってれば勝手にレスは流れるし、個人に執着されることはないしそもそもしようがありません。匿名ですから。

だから「うるさい暴言やあおりは無視しましょう」という考えが主流だったのです。

 

②考察:モバゲー、GREEの登場~ケータイの普及~

しかし、2007年ごろでしたかね?そのあたりからだんだんと変化が訪れてきます。

ケータイ電話の普及です。

ケータイを利用する若者が増え、かつ、ネットのパケ放題なども登場し、ケータイからインターネットに接続する若者が増えました。

さらにここで登場したのが「モバゲー」「GREE」でした。

自分というアカウントを持ちながら、モバゲー内で共通の友人と友達になり、ゲームをする。

これは、ゲームやネットを、黎明期に触れなかった人々も、ケータイという形でネットで触れ合うようになりました。

このあたりから「ネットはリアルと別物」ではなくて、「ネットはリアルの延長線上」と考える層が増えてきました。

 

だもんでこのあたりから2chのような、「ネット民のための交流の場」、ようはリアルの人があまり介入してこない場を求める人々が増えていたように思います。

ネットのノリで会話をしたいのに、やたらリアルの話を混ぜてくる層にうんざりして、ですね。

これも完全な主観ですが、ニコニコ動画なんかも、このあたりの時代は顔出し配信やゆっくり以外の実況をやたら毛嫌いする(=リアルと結びつくことを嫌う?)流れは一部あったかのように思います。声だしはまだしも、特に顔出しはそうでしたね。だからヒカキンも出始めのころはネット民から馬鹿にされていた印象があります。

 

そのあたりの時代に同時に出てきたサービスが、twitterです。

 

③考察:複雑なTwitterユーザー層

 Twitterは当初かなり閉鎖的なコミュニティだったと思います。それこそ、リアルとつながりたくない、あくまでもネットはネットとして使いたい人々が多かったと思います。

身内でがんがんリプライを送りあい、非公式RTで会話を続け、1日100ふぁぼ100ツイを目指し、つぶやきすぎてつぶやき規制、ふぁぼりすぎてふぁぼ規制をかけられたら規制用の退避アカウントでまたつぶやき、規制用の退避アカウントを三つも四つも作り・・・・・・・・・

そういう文化圏でした。

だから、正直あまりここにリアルの人が流れてくるという印象はそんなになかったですね。

ただ、実際問題、今じゃそれが混同しているSNSなんですよね。2chとも違う、モバゲーやグリーとも違う。mixiとも違う。

「ネット黎明期のノリを知る人々」と「リアルの延長線上として扱っている人々」のどちらもが、住み分けなく混同しているかなり不思議な文化圏を持つSNSだと思っています。 

その上、Twitterは「住み分け」がひじょーーーーに難しいSNSです。

どういうことかというと、たとえばモバゲーなんかも、もちろんネット黎明期の人もウェーイなヤンキーもモバゲーをやっていたりするわけですが、サークルというものがあり、サークルに入っている人しかかけない掲示板、交流できないチャットがあり、ある程度住み分けができました。友達にならないと相手のページにいけなかったりメール送れなかったり、と、「合わない文化圏の人々が顔を合わせる」機会が非常に少なかったと思います。

しかし一方で、twitterは、無限です。

鍵をかけずにオープンにしている場合、無限です。

どんな文化圏の人であれ、北極の人がつぶやいたツイートを南極の人が見ることができるし、オバマ大統領がアメリカの今後を考えたまじめなツイートに「( ^o^)☎┐もしもしwwwwwwホワイトハウスですかwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwなんだっけwwwwwwww忘れた( ^o^)Г☎チンッ 」とかいうリプライを送る人がいるくらい無限です。

それを制限する方法は、鍵をかける以外ないのです。

自分が少数の人間へ向けてつぶやいたとしても、鍵が開いている以上、必ず文化圏が一切違う人間からのリプライが来る可能性があるのです。

 

そして何より特異なのが、これだけ長く使われていると、ある程度固定の文化(2chのゲーム質問スレで、wikiに載っていることをわざわざ聞くなとか)が根付いてくるはずなのですが、それがなかなかどうして根付いて行きません。

 

twitter.com

 

このツイートが非常に参考になります。

Twitterは、「発信者の意図と、受け手の捉え方がズレやすいSNS」だと思います。

このツイートに補足するような形で説明させていただくと、たとえば2chの場合、自分でスレッドを立てた場合、「誰かからの反応がほしい」という意図があって立てており、それは受け手も発信者もズレがないと思います。

しかしTwitterは、その発信対象が「0」なのか「10」なのか「100000」なのか、ようは「ただのつぶやき」なのか「身内向けツイート」なのか「全世界へ向けて」なのかがはっきりわかりません。

だから本人が、ただのぼやきとしてつぶやいた内容であっても、それを全世界へ向けて発信したものだと捉えた人からリプライがきて、揉めるわけです。

 

しかもこの「リプライの捉え方」も、先のツイートに記載があるように、「ただの掲示板へのレス」と捉える人もいれば、「個人宛に発言している内容」と捉える人もいるわけで、だから「そんなん気にしなくていいじゃん、ネットやめたら?」派と「個人攻撃しないでくれる?なんなの君」派でこんなにも大きくすれ違いがおきるのかなと思います。

たとえば、とあるツイートに、ただのレスとして捉えているひとが「頭悪すぎ草」とリプライしたとします。

しかし、そのとあるツイートをつぶやいた人が「個人宛に発言している」と捉える場合、いきなり見知らぬ人が個人的にわざわざ侮辱してきたわけですから、宣戦布告と捉えます。怒りの反論リプライを飛ばします。

はたまた、その反論リプライを見た「リプライはただの掲示板へのレスと一緒」派の人は、「無視すりゃいいのに、何マジになっちゃってんの?」と、「煽り耐性」のなさを笑います。

 

ここですれ違いが発生しているのです。

2chのノリのまま、Twitterをやっているのです。

 

匿名掲示板のノリで、自分の固定のアカウントから煽ったりバカにしたり、という状況になっている。

 

ネット黎明期と違い、今は「ネットとリアルをつなげて騒ぐことができる時代」となりました。ネット炎上したところで2chで笑われるだけだったのがすぐさまニュースになったり、ネットで誹謗中傷した人を実際に訴えて逮捕できる時代になりました。

だから僕は、ネット民は「そんなクソリプとか暴言気にしなくていいじゃん、ネットやめたら?」と気軽に言ってられない時代に突入してきていると思います。

つまり、冒頭で挙げたような、「ネットで馬鹿にされたくらいで気にすることなくね?」という時代が終わりに近づいてきており、特にユーザー層が混同しているTwitterはその傾向が強いと思います。

なので、「ネット民馬鹿にしたところでこいつがネットやめて終わりでしょ」って時代じゃないんですよ。

リアルと連動してるから、法的手段に出てくる人もいるわけですよ。

そしてそれに世間が実際に動いちゃう時代になっているわけですよ。昔なら「バカニされたくらいで弁護士呼ぶとか草 あおり耐性なさ杉」となっていたところが、そうなりません。

そうなってくると本格的にネット民の住処がなくなると思います。

だから正直、この今の時代に、「ネットやめたら?」論は今後通用しなくなってくると思います。

 

そういう思いもあり、先のブログは「ネットをリアルの延長線上と捉えている人々」の味方に立つ視点で記載をしました。

 

④意見:一歩だけ、譲歩しよう。

 じゃあそういう文化圏でどう生きていくべきか。

いくら「今後リアルの延長線上と考える人が増え、ネット向いてない人はやめろ、と考える人は駆逐される」といってもあくまでも僕の予想。そうはならんことも十分ある。

そして現状、こちらが「お前らなに暴言はいてるの!!!」と怒ったところで、まだまだ「ネットのこんなかきこみにまじになっちゃってどうするの」という声のほうが大きい悲しい現状があります。

じゃあそこでどうすべきか?

ひとつの答えが、「一歩だけ譲歩する」

これだと思います。

 

僕も冒頭紹介したブログで、いろんな反響があり、その中にはよく意味のわからないリプ、タメ語で飛んでくるリプライもありました。

その中のひとつに、僕はついカッとなってしまい、変なリプライで対抗してブロックして逃げるということをしでかしました。

しかしあんまりにも大人気ないし、そりゃないだろ、と自分の中で反省し、当該ツイートを消して、ブロックも解除し、タメ語リプライを送った方に接触を図りました。

すると、その方はちゃんと「そこまで気にしてるとは思わなかった。申し訳ない。実は先のツイートはこういう意味で・・・」ととても丁寧に返信してくださいました。

 

ここで僕にあったのが、「向こうが先に失礼なリプライを送ってきた!!だから俺はこいつに気を遣わなくていい!!!!!」という発想です。

しかしそれは、当初のブログで批判したような、「一般人とはいえ間違ったことを言っている!!!!こいつに気を遣わなくていい!!!!正せ!!!!!!!」という人々とまったく同じ穴のムジナになってしまうわけです。

 

だから、僕が思うに、 「一歩だけ譲歩する」これが大事だと思います。

文化圏がまったく違うため、まったく相手が傷つくとは思わずにつぶやくひと(もちろん傷つける目的でいう人もいるでしょうが)もいます。

だから僕が接した方のように、「僕はこれに対してこう感じます」と素直に言うことで聞いてくれる人もいます。

だから、一歩だけ譲歩してみましょう。

 

ただし、一歩だけです。

 

常に譲歩し続けると心が死んでしまいます。

一歩譲歩し、それでも何も気遣うそぶりもなく、暴論振りまいて来る人がいたら、もうかまうのをやめましょう。

その方々はあなたが噛み付いてくるのを待っています。

こちらが煽ることであなたが変なボロを出すことを待っています。

先のブログの反応を見ればわかるように、僕があれだけ言って拡散させても「いやネットに何を期待してるねん」と思う人は多くいますし、変わらない人は変わりません。

そして向こうは煽りのプロです。煽った上でボロを出させ、たたきまくるプロであり、いつの間にかあなたが間違っているという立場にされてしまいます。

 

いや、何で譲歩せなあかんねん!!!!!!!

と先のブログを読んだ方は思うでしょう。

しかし、これだけ根強く「君ら違うよ!」と言っていてもなかなか20年以上染み付いた文化は消えません。

それは先のブログの反応をみて、実感しました。

 

ただ、互いが一歩も譲歩しない状態が永遠に続いたら、何も進展はない。

それなら一歩だけ、譲歩してみてもいいのでは?と言う提案です。

 

だから、譲歩と言う選択肢が考えられない人は捨ててしまってかまいません。

 

僕はいずれ、譲歩せずともネット向いてない人やめろ!民は駆逐されると思っています。そうでなければ、先のブログは「ネット民に何期待しとんねん笑 お花畑やな~」と笑われてはいおわり、であって、ここまで反応はなかったと思います

 

 

だからここには、ひとつの選択肢とひとつの事例をあげて、それで皆さんに判断を任せます。

先のブログと本ブログ。いっていることは正反対だと思います。

 

だもん批判もあるでしょうが、この両方を見て、皆さんがどういう立ち居地でtwitterでふるまっていくか考えるきっかけになればなあ、と思います。

 

 

なんかぐだっちゃいましたが、おわり。

 

インターネット文化人類学

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僕たちのインターネット史

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