言葉は水物、すぐに死ぬ

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”セルフレジは味気ない” この投書が言いたいこと~商店街コミュニティ~

かまたまる on Twitter: "これを読んでセルフレジ化をさらにドラスティックにすすめていかなければいけないという気持ちになりました。… "

 

いやいやいやいやいや。

 

全く意味がわからん

 

元々の新聞記事が、じゃないよ?

わざわざこれを取り上げて数万人が「なんだよこいつ~笑」っていう意味がさっぱりわからんと言っている。

 

と、思い、最初はぶちギレ記事を書いたのだ!

だが。

いやいや、待ちなさいよ、といったん落ち着いて記事を読み返し、批判者のコメントもゆっくり読んでいると、なんとなくお互いが言いたいことがわかってきて、そしてそこにある悲しいすれ違いも見えてきた。

 

そこで、このプチ騒動の中でぼくが感じ取った、両者の言いたいところを書いていきたいと思う。

 

以下、当記事の目次です。

 

①元記事のどのあたりが批判されているか?

②「わかる」が、「納得」はしない批判

③批判者と、元記事の、悲しいすれ違い

④本当に「古きよき人間味」はいらないのか?

 

 

順に書いていく。

 

①元記事のどのあたりが批判されているか?

どうやら問題なのは二点。

まず、セルフレジが導入されたことでレジに行けない!もう買いに行けない!という意見。

それに「ありがとうございました、は売る側の最低限のあいさつ」「セルフレジは味気ない」という話を加えているのが批判の対象になっているようである。

 

それに対して「客は神ではない」「買う側の態度も近年は求められている」「そもそもセルフレジに適応できないって何?笑」「この人たちが求めているコミュニケーションとやらで、レジをめちゃくちゃ待たされる」というような批判が出ているようだ。

 

②「わかる」が、「納得」はしない批判

この手の言い分は、まあ、「わかる」。

言いたいことは理解はできる。

第一に、セルフレジそもそも使いたくないよーというわがまま、第二に、お店に「売る側の最低限のあいさつ」を求めている点。

特に後者のほうは、近年、横暴な客や過度なサービスを求める客がおり、それに対してハイハイすいません、と聞く時代ではなくなり、 そういう過度なサービスを求める客に対する批判は高まっている。

それはもちろんわかるし、金銭以上の過度なサービスは求めるべきではないし、そういう「モンスター客」ばかりでは、店は回らない。

 

しかし、この70代女性の投稿者は、本当にそういう「モンスター客」なのか?

 

正直あふれているのは、「この記事の批判」ではなくて、「この記事から連想されそうな、極端な老害」の批判であり、この記事から過剰に「老害」成分を見いだしすぎだと、最初は思った。

 

最初は。

 

しかし、ここをよくよく読み返してみると、記事をどう捉えられるか、そしてなぜそれに若者たちが「老害!!老害!!」と叫ぶのかの答えが、見えてきたように感じた。

 

そこにすれ違いが発生しているのである。

 

③批判者と、元記事の、悲しいすれ違い

ここまでは「批判側の問題かなぁ」と思っていたのだが、冷静に色々見返すと、どうも互いがすれ違っているな、という感じがする。

だもんで、「お互いこういう事情みたいだから、善悪の判断は君らに任せるね」というスタンスで記事を書いていくのでよろしく。

僕はどっちも、善だと思うけどなぁ。

 

批判者は主に「老害」に関して文句を言いたいようである。

新しいものを取り入れず、その上サービス料金を払っているわけでもないサービスを求め、ふざけるんじゃないよ、と。

 

これを一つずつ解説していく。

 

元記事は冒頭、セルフレジ使うの億劫だよね。という話をしている。

ただ一方で「やりたくない気持ちがあるだけで、やればできると思う」、「だが、事実買い物難民(セルフレジが使えない勢)が出てきているのでは?」という話をしている。

まあここは捉え方次第だが、「できなくもないけど敬遠している人結構おるよ」という状況説明であり、別段極端に「新しいものはヤダ!!!死ね!!!!」とは言っていない。

ここで大事なのは、確かに、批判者が言っているような、「新しいものを取り入れようとしていない」ということ自体は事実ではあるのだが、それが「批判するほど、ここまで議論になるほど酷いもの」かどうかというと、違う、という話である。

それを「俺らが言ってることはあってるだろうが!!!」とごり押しするのは違う。

 

ここまでいうと「批判する側がおかしくね?」という流れなのだが、これ以降からちょっと変わってくる。

 

んで、後半で言っている「売る側の最低限のあいさつ」の話をしよう。

ここから書くのはあくまでも「推測」である。

そこはご了承いただきたい。

だもんで、逆に、「批判派だけど、推測違うよ」「肯定派だけど違うよ」って意見があれば言ってほしい。

 

さて、「売る側の最低限のあいさつ」に関してだが。誤解がないよう後半を全文引用する。

 

少し前の商店はお客が来たら「いらっしゃいませ」と声をかけ、品物を渡しながら「ありがとうございました」と言っていた。それは物を売る側の最低限のあいさつだったと思うが、セルフレジは「お支払い方法を選択してください」「金額をご確認の上カードを入れてください」「レシートをお受け取りください」と必要なことしか言わない。何とも味気ない。

 

人はコミュニケーションにより育っているところがあると思っている。子供の頃、近所の商店街のおじさんやおばさんに教えられたことがたくさんあった。戻れる世界ではないことは分かっているが、セルフレジには店側の誠意や感謝を感じることがない。

 

人の心の荒廃がこんなつまらないところから進んでいかなければいい、と思うのは、ただの杞憂だろうか

 

これを見る限り、確かに店側に「誠意や感謝」を求めており、若い人々がこれに対して「老害老害!」と叫ぶ理由がわかる。

 

なぜそういう声が上がるのか?という理由には、「誠意や感謝」といった、抽象的で曖昧なものを求められても、提供が難しいからである。

特にアルバイト含め仕事をしたことがある人間ならわかるだろうが、システムが導入されればされるほど、「その場のノリ」での対応は難しくなる。「これするのめんどくさいからやってよ~」っていうのができない、それをやる、時間がない。

例えば自分はコンビニバイトをしていたが、タバコを買ったら必ず年齢確認の画面タッチをしなければレジは打てないし、賞味期間が1分でも過ぎててもレジを打てないし、「1分くらいええやん!すぐ食うし、売ってや!」ということはできない。

そんな中で「これやってよ~」「これやりたくない~」と言われても応えられないし、そもそもこれに頑張って応えた場合の見返りもないのである。

 

その上、誠意や感謝は捉える相手によって違い、ただ流れ作業のように「ありがとあっした~」というだけでも満足する相手もいれば、「ありがとうございました!」としっかりお辞儀90度でなけりゃ我慢ならん、という人もいる。

それを各方面からあらゆる客が来る店で対応できるかと言われたら、そもそもそれが無理なのである。

 

それを求められた経験、そして応えられねーよ!となった経験がある人々は、やはりどうしてもこの「誠意と感謝を求める老害」にうんざりしており、疲れているし、「そんなん求めるんなら金払ってくれや………」と思うわけである。

しかも度合いが人によって違うので、ひとつの誠意や感謝を聞き出すと無限に聞くことになってしまう。

そしてそれらは年功パワーによって押さえられつけがち。

だから若者は強い心を持って拒絶しなければ、たえられないのだ。

 

 

さて、ここまで書いたところで。

新聞記事で投書をした側の意見を書いていこう。

 

人はコミュニケーションにより育っているところがあると思っている。子供の頃、近所の商店街のおじさんやおばさんに教えられたことがたくさんあった。戻れる世界ではないことは分かっているが、セルフレジには店側の誠意や感謝を感じることがない。

 

ポイントはここであると思う。

この文面から見るに、投書をされた方は町の商店街で育った方なのだろう。

そもそも、商店街というものは、小さな個人商店の集まりでできている。そこでお互いがささえあって生きているようなコミュニティである、と僕は考えている。

小さな個人商店はたかがしれており、大企業に勝てるような力はない。

それは商店街の中の、他の店も同じである。

だからお互いの「助け合い」が発生する。

近いし、買い物いくなら商店街のあそこに行ってあげようか。昼飯はあそこに行ってあげようか。あそこのお子さん、困ってるみたいだから助けてあげようか。

それがいい循環として回りだすと、今度は行ったお店の人が、逆に自分の店舗に来て、「この前来てくれたし、買いに来たよ」と言ってくれる。

これははてなブロガーでもわかるもんじゃなかろうか。

ブログを始めたばかりの、最初は、記事それだけの良さではなかなか評価されないので、こっちもスターを投げるから投げてちょうだいよ、お互い頑張ろうね、とやっていって、地道にスターをため、アクセス数を増やし世に知られていく。

同人誌などでもそうだ。互いのサークルが新刊を交換したり買いにいったり。

少なからず、ブログやツイッター、サークル、など、小さなものでも「窓口を構え、人を呼ぶ」という、店舗のようなものを持ったことがある人間は、この「気持ちのトレードオフ」というものが大事かわかるはずだ。

 

商店街的コミュニケーションはそこだ。

 

気持ちをあげる分、お気持ちを返してね、というもの。

だから、気持ちが返ってこないお店にはみんな行かない。気持ちを返さないのに、みんなが「この人に気持ちをあげよう」としていたら、みんなが「気遣いで」買ったモノは無駄になるのである。

いや、無駄にはならないかもしれないが、商店街の気持ちのサイクルがうまく回らなくなる。互いに商店街でやっていけなくなる。

だからみんな、あいさつだけじゃなくて、いろんな気遣いで商店街コミュニティのサイクルを回していたのだ。

レジでちょっとした愚痴を聞いてあげるとか、自分のとこで取り扱ってない商品のことまで教えてあげるとか。

そういうコミュニティにおいて、あいさつは「最低限」なのだ。

よっぽどコミュニケーションが下手な人であっても、あいさつがあったら、「下手なだけで、気持ちをあげるつもりがないわけじゃないんだな」という判断がつけられる、簡単で、わかりやすいコミュニケーションであるからだ。

だから譲歩に譲歩を重ねた上で、投書している人は「あいさつは最低限」といっている。

だもんで、そのあいさつすら、最低限の、誠意や感謝すら、与えないチェーン店に、商店街コミュニティで育ってきた方々は否定的なのだ。

 

こういう話をすると、「商店街の店がつぶれるのは実力不足」「よりいい店ができるならいいじゃん」とかいう話が出てきたりするが、これには大きな問題があると思う。

 

 

④本当に「古きよき人間味」はいらないのか?

 

結論としては、「確かに求められたら困る場所で「気持ち」を求められたら困る。だけどそういうコミュニケーション、コミュニティは本当に要らないのか?」というところである。

 

出来ないところで求められても対応はできないし、コンビニで気持ちや誠意を求められても困る。それは商店街コミュニティに入っている店ではないし。それを無理に商店街コミュニティに入れられても、という話。そこはいくら70代女性が商店街のよさを語ったところでダメ。コンビニは商店街コミュニティに適応できる作りになっていないし、そういうコミュニティに入りたくて作った店ではない。

 

だが、そもそもその「商店街コミュニティ」そのものは本当にいらないのか???という部分なのだ。この元の新聞記事で言いたいことはそこだと思う。

 

「君らそれを否定しとるが、本当に君らはそういうコミュニティ、いらないの??」

 

これが、僕が一番思ったところである。

そもそもそういう商店街コミュニティは社会のセーフティネットだと思っていて、仮にうまく商売ができなかったり、会話がうまくない人でも、同じ人、同じ店舗、同じようなモノに囲まれて繰り返し繰り返しコミュニケーションや商売を繰り返すから、覚えやすいし練習もしやすい。そういう人たちが練習をし、なんとか社会で生きていけるセーフティネットでもあったと、僕は思うのだ。

なんか仕事や商売にちょっとしたミスや抜けてるところがあっても、いっつも買いに来てくれてるしいいよそのくらい!と許してくれるような、そういうコミュニティ。

そういったセーフティネットがなければ、能力のない人間、ないしは自分の能力がわからない人間はただただの垂れ死んでいくだけの社会となっていく。

まあ、そらぁ能力のバリバリある人間なら、「そんなん知ったこっちゃない。能力のない奴は鍛えろ」としか思わんだろうが、果たして批判している人間のすべては、能力のバリバリある人間ばかりなのだろうか??

 

能力のバリバリある人間で、いやそんな商店街コミュニティとかクソじゃん、いらんよ、っていうなら、まあ好きにどうぞ、という感じだが、果たして、自分達は、「そういうコミュニティは一切要らず、社会で生きていけるコミュニケーション能力も商売力も万全だからいらんよ」、と言える存在か???というのはもう一度思い返してほしい。

 

もちろん先程言ったように、「求められたら困る場所で、誠意や感謝を求められる」というのは困るし、やめてほしい。

 

だが、この新聞記事で言いたかったのは、「誠意や感謝が循環する場所が、そもそも無くない?」というところだと僕は思う。

 

だからお互い、悲しいすれ違いを起こしているのかな、と思った。

 

そこんとこ、考えてもう一度、肯定派も否定派も考えをまとめ直してみてほしい。

 

 

 

今日はこんなところでおしまい。

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商店街機能とまちづくり―地域社会の持続ある発展に向けて

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