言葉は水物、すぐに死ぬ

月間10万PVありがとう。Twitterの話題を中心に「ちょっとこれ、どうなんだ」というネタに切り込んでいきます。      言葉が死ぬ前に、残しましょう。

コラム:社会に馴染めぬにわとり、野菜星人に囲まれる

型というものはめちゃくちゃ辛いものであります。

社会の型というもの。

大概社会の型というやつは、僕が一枚の、大きな肉だとしたら、まあ30cmくらい?だとしたら、社会の型は10cmくらいしかないわけで、はみでた肉はゴリゴリ削られていくばかりな訳です。

 

もちろんこの自分という肉をしっかりと守る方法はあるんだろうし、こういう自分に近い人たちほど、自分の肉を守る方法を知っている。

けどもそんなことは知ったこっちゃなくて、自分は守る方法がよくわかってなく、自分の肉をゴリゴリ削って型の外に捨てるしかわからない。

 

だから安易に「型を広げますよ!受け入れますよ!」とか言われるとキレそうになる(この前のダイバーシティのブログとかね)

 

おかしな話で、普通料理するときは30cmの肉があったらそれにあった料理をするわけで。ぱさぱさの鶏むね肉は味付け濃いめで、しっかり油ののった柔らかいもも肉は唐揚げで。そういう使い分けをするのに、たいがいの社会は、むね肉だろうがもも肉だろうが唐揚げにしたがる。

一様に唐揚げにしておいて、「お前パサパサじゃん!!美味しくねーわ!」って言われても、「はあ、そりゃむね肉つかったらそうなるだろ・・・」という感じなんですよね。

 

それをやたら「努力」で解決したがる。

疲れるんだよねそういう社会に。

 

合った調理法をしろ。

それは自分自身にたいしても言えることだと思う。

自分自身は一枚の肉片で、それを努力でどうやったって牛肉にはならんし、豚肉にもならない

自分自身でそうしている人、けっこう多いと思う。

明かに牛肉な人が「俺は豚肉!!!!!!豚バラになるぞ!!!!!焼き鳥豚バラ串になる!!!!!!」とかいっている人がいて、「いやいや、豚バラ串にはなれんやろ・・・牛サガリ串にはなれると思うけど・・・・・・」とかいっても「俺は豚バラ!!!!!!!!!!!!!!!!」といっている人がいる。

 

自己分析は大事で、まあ今の例でいうと、焼き鳥の串になることを諦めろといっているわけじゃなくて、牛サガリ串が一番理想に近い現実的な形だよね、という話なのである。

 

ちなみに僕は鶏肉なのに「野菜になれ!!!!!」と言われている気がして、「いやさすがに無理っすね」という気持ちになっている。

野菜は無理。鶏むね肉サラダとして添え物にはなるけど野菜自体にはなれない。

どうやったらこれを理解してもらえるのだろうか。

 

僕は野菜星人に囲まれていて、その中の一匹のにわとりなわけだけど、どうも野菜星人からは僕が浮いている存在だとはわかってはいるんだけど、そもそも「肉」「にわとり」という概念そのものを知らないから、そうできると思っているのかもしれない。

「野菜なんだから、ちゃんとサラダになりなさい」と言われるとなんとかできるのだけど。そうそう。なまじできちゃうから「おっ!!!!できるやん!!!!!お前やっぱ野菜やな!!!!!!!お前もしかしてトマトじゃね????????」とか言われたりする。

 

いやいや、そんなわけないやん。

赤いのはとさかと血ぐらいなもんですよ。

コケコッコーッて鳴くトマトがおるんかい。

おるわけないやろ。

「いやー変わったトマトだねー」じゃないよ。

別の概念というものを疑いなさいよ。

そういう別の概念を疑うという発想が、たぶん僕らと同世代でギリギリあるというくらいで、それ以外のジジババにはほとんどない。

 

僕は野菜星人に囲われて、どうなるのかねえ。

野菜になって、そのうちとさかから種子を飛ばしたりしだすんだろうか。

そのうち実がなってあらたなにわとりが生まれたりするんだろうか。

 

まあ、にわとりのお仲間を、ちゃんと探しましょうかねえ。

 

おわり。