- 作者: 内田樹
- 出版社/メーカー: 文藝春秋
- 発売日: 2002/06/20
- メディア: 新書
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ついこの間、人にすすめられてこの本を読んだ。そのなかでちょいとラカンとフロイトに触れていて、非常に興味深かった。
(と、こう書くといかにも「ラカンとフロイト、いいよね……僕結構読んでいるんだよね」感が出るが、残念ながら一切読んでいない。興味はあるんだけど)
そのあたりで、「記憶は"過去の真実"ではない」という章がある。
話の趣旨としては、「人は自分を語るときに物語化して話すので、「過去の事実」を見るために語るわけではなく、「自分が何者であるか」という部分を見るために自分を語る」という辺りの部分から、自己とそれに対する認識の話が続いていく。
ここで、はて、と思いまして。
(ここから一見関係無さそうな話が続きますがしばしお付き合いください)
ついこの間、年明けたばかり、僕は仕事があんまりうまくいっておりませんでした。
そんでもって、それに関して説教され、そのタイミングで一年の振り返りレポート発表が重なり、説教とレポートでダブルで自分の無能さを実感させられ、ボロボロに沈んでおりました。正直仕事やめたいというとこまでいっておりました。
しかし、本気で「やめてやる」とちょいと思って、転職サイトなどのぞきこんでみると、冷静にやめることを考えられるようになって、「追い込まれて辞める」というマイナスのイメージから、「ひとつの選択肢を選ぶ」というフェーズに考えられるようになりました。
また、レポート発表のタイミングで、直属上長は、ほめるでもけなすでもなく、淡々と「できたこと、できなかったこと」を評価してくださいました。そのおかげで、「あ、ここは本当に評価されていい項目なんだな」と、自分はできないばっかじゃないんだな、と思えました。
そういったこともあって、なんだかころっと気持ちが楽になって、「色々やってみるか!!!」という気になって、最近むしろ活動的になってきました。
はい。
ここまでが、「物語化した自分語り」です。
別に推敲して脚色したとかではなくて、ほんとに語っただけです。
では、一応の事実関係だけ書いていきましょう。
(昨年末)
私が仕事に関して疑問を持ち始める(このままで自分は向いているのか?)
→転職サイトを見始める
→少し辞めた後のイメージができるようになる
→年明け、説教される
→めっちゃへこむ
→飲み会でさらに体力を削られ、さらに不調
→淡々と上長にほめられる(特に心情変化なし)
→その後の土日を淡々と過ごす(気持ちは沈んだまま)
→日曜日友人とすごし、誕生日を祝われる。沈んだ気持ちが少しは変化?しかし沈んでいる
→月曜日起きるとなぜか体調がすごぶるよかった
→それにともないメンタルも安定
→沈む思考からプラス思考へ
→現在
ポイントは"月曜日起きるとなぜか体調がすごぶるよかった"です。
あくまで時系列として、「転職サイト→上長の冷静な評価→メンタル改善」となっているだけで、これだけではそこに因果関係があるのかわかりません。
実際記憶をたどると、もちろん冷静な評価をしてくださったのは嬉しかったですが、かといってそれを気に上向きにメンタルがよくなっていったわけではありません。
実際はきっかけはわからないのです。
物語化を無視していってしまえば、「謎に良好な健康状態が急に来たため、それに伴って自身のメンタル調子もよくなった」にすぎないのです。
僕がそこに、勝手な物語を作ったにすぎないわけです。
これは当たり前と言えば当たり前なことです。
僕の体は一つですが、僕のからだに変化を与える出来事は一つではなく、それぞれ一つ一つに何かしら体が反応していくわけであって、もちろん前後の繋がりが全くないとまではいいませんが、前後に関係なく目の前の出来事に体が反応することは起こりうるわけです。
僕の「体の調子がよくなった」という事実は、僕が認識していない事柄(例えば睡眠の質、例えば食べた食事)が原因かもしれません。
しかしそれを僕は認識していないので、認識している範囲の事柄から因果関係を見つけるしかないのです。
僕がこれを何で書いたか、というのは、本当に「起きたら何故か体調とメンタルがよかった」という状態であり、そこから色々と前向きになったのは事実だということ、そして、「その理由がわからない」ということを忘れてはならないと思ったからです。
自己分析をする上で物語化は非常に大事になってくるとは思いますが、実際に起こったことを取りこぼしてしまっては、逆に自己への理解から遠退いてしまう。と思ったので。
うーんごめんなさい今回は特になんか言いたいことはそんだけなので、備忘録的な意味合いが強いです。まあなんかの参考になれば。